【書評】「悟らなくたって、いいじゃないか(著:プラユキ・ナラテボー、魚川祐司)」幻冬舎新書

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こんばんは、めぇ太です。

今日は仏教関係の本でいくよ~。

プラユキ・ナラテボー師と魚川祐司氏の2人の対談形式の書籍「悟らなくたって、いいじゃないか~普通の人のための仏教・瞑想入門~(幻冬舎新書)」を読んだのでご紹介します。

プラユキ氏は日本人の僧侶で現在はタイのスカトー寺で副住職をされており、瞑想指導者としても頻繁に来日して活躍されているそうです。正直、本書で始めて知りました。。。

著書に「苦しまなくて、いいんだよ」など。この本はなんか聞いたことある!!

魚川氏は学者でも僧侶でもない仏教研究者です。著書に「仏教思想のゼロポイント」などの数多くの仏教関連書籍を出版されています。

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集中系の瞑想とチャルーン・サティ

最近、といっても結構前からだけど、ビジネス系やライフハック系のサイトで「マインドフルネス」とか「瞑想」をして生活を豊かにするとか、仕事の生産性もあげることができる、みたいな記事をよく見かけます。

一口に瞑想といっても、悟りを開くことを目指してひたすた集中する瞑想だったり、プラユキ師が行っている「手動瞑想」というような、「過度に集中しない」瞑想というものもあります。

前者は本書の中で「集中系」や「ハードコア」の瞑想と呼ばれています。一般にイメージする瞑想とはこのような座禅を組んで無の境地、悟りの境地を目指す、、、というような瞑想ではないでしょうか。僕は本書を読むまでは完全にこのイメージでした。

一方、プラユキ氏の行う「手動瞑想(チャルーン・サティ)」は、手を動かしながら行う瞑想です。この時点で思ってたのと違います・・・

動いていいんや・・・って感じです。

本書にはチャルーン・サティの手の動きの写真が掲載されていますが、youtubeにアップされているとのことなので、せっかくですから紹介しますね。


チャルーン・サティをするときの注意点は3つ。

  • 心に構えを作らない。「無にならなければ」とか考えたり気にしない。
  • 手の位置確認だけする。手の上げ下げとか言語は必要ない。
  • 雑念が湧いてきてもそれを否定せず受容する。

話は戻って、、、集中系の瞑想は主にテーラワーダ(上座部)仏教で行われているような印象。簡単に説明すると、仏教にもいろいろとあり、大きな分類としてテーラワーダ(上座部)仏教と大乗仏教とがあります。

上座部仏教は自分が修行を積むことで悟りを開くとかそんな感じ。対して、大乗仏教はその名前のとおり、みんなを乗せて救う感じ。

だから、上座部仏教はもともと小乗仏教と言われていたのを言い方を変えて上座部仏教と言っています。

自分の「目的地」、マッピングを明確に

そんな修行積む系のテーラワーダ仏教はガチ集中系の瞑想を主にしていますが、人によってはそれが救いにならないこともある、と述べられています。むしろ悪化することも。

つまり、人によって必要な瞑想も違うということ。

今、人間関係や日常生活の悩みを抱えている人が、ガチ集中系の瞑想で時間をかけて修行をする意味があるのかってことです。

うつ病になってしまうかもしれないくらい悩んでる人ならそんなことやってる間にひどいうつ状態になってしまいそうです。

「正しくて完璧な瞑想法がただ一つあるはずだ。それを実践すれば何もかもが完璧に上手くいくはずで、そうならないとすれば、方法が間違っているか、あるいは私のやり方が悪いのだ」と考えてしまうと、瞑想の実践が、どんどん苦しくなってしまうと思うんです。

(中略)

瞑想法ごとの性質や「目的地」の相違を吟味して、「実践する仏教のパースぺクティブ」をつくることができなくなる・・・(中略)・・・「正しくて完璧な唯一の瞑想法」を求めて苦しむのではなく、それぞれの瞑想法・指導法の性質と、己の「目的地」についてよく考えた上で、「自分がいまどこにいて、どういう経路を通って、どこに辿り着きたいのか」という「マッピング」の作業をきちんとしなければならない、ということだね。(P216より)

感想

本書は瞑想入門とサブタイトルに入っていますが、瞑想のやり方が書かれたような入門書ではありません。チャルーン・サティの紹介はされてるけど。

チャルーン・サティだって、人によっては必要としている瞑想とは違うかもしれない。

気づきを重視するチャルーン・サティではなく、集中系の瞑想、その他の瞑想法を必要とすることもあるかもしれない。そういった自分にとっての瞑想、ひいては仏教の「目的地」を明確にした瞑想をするための注意点を示したものです。

最近は各地で瞑想会が実施されているようなので、まずはいろんな種類の瞑想法を試して、自分に合っていると思う瞑想法を見つめることを推奨されています。

日本でも「マインドフルネス」、「瞑想」の基盤が広まってきているようなのでぜひまずは瞑想会に参加してみてはいかがでしょうか。

では!!

<書籍紹介より>

ブッダは、人生の「苦」から抜け出すには、出家して修行、すなわち瞑想を実践することで、煩悩を解脱した「悟り」に至らなくてはならないと説いた。では出家したくないのはもちろん、欲望を捨てたくない、悟りも目指したくない「普通の人」は、「苦」から逃れられないのか?「普通の人」の生活にブッダの教えはどう役立つのか?瞑想をすると何が変わるのか?

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